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敦煌観光スポット

莫高窟観光

莫高窟は千仏洞とも呼ばれ、「20世紀で最も価値のある発見、東方のルーヴル宮殿」と称されています。河西回廊の西端である敦煌市にあり、精巧で美しい壁画や仏塑像で世に知られています。1987年にユネスコの世界文化遺産に登録され、中国四大石窟の一つです。

敦煌観光のメインスポットです。鳴沙山の東側の絶壁に築かれた石窟群です。 366年に楽樽という僧によって開削されました。 現存する窟は全部で492窟で、その内最古のものは第268、272、275窟の北涼窟(5世紀初頭)です。敦煌は漢族の他、チベット、モンゴル族にも支配されましたが、どの時代( 五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7)も開削は続けられ、 各時代による特徴が見て取れます。莫高窟は五胡十六国時代に作られ始め、その後、北朝、隋、唐、五代、西夏、元代を経て造営され続けられたので、巨大な規模となりました。今は735の窟、4.5万平方メートルの壁画、2415の仏塑像を有し、現存する規模が世界で最も大きく、内容が最も豊富な仏教芸術の聖地です。

莫高窟(ばっこうくつ)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の近郊にある仏教遺跡です。鳴沙山の東の断崖に、南北1600mに渡って掘られた700あまりの洞窟があり、その中に約2400の仏塑像が安置されています。壁には一面に壁画が描かれ、総面積は4500平方mにもなります。紀元前336年に楽(らそく)和尚により創建されたとされ、その後、元朝までの約1000年間にわたり造り続けられました。建築、彫塑、壁画の保存状態や芸術性の高さには目を見張るものがあります。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

1987年に登録された中国の世界遺産(文化遺産)で、同国北西部、甘粛省敦煌市近郊にある仏教遺跡。古くから中国と西域を結ぶシルクロードの要衝とされてきた敦煌中心部から南東25kmに位置する鳴沙山(めいさざん)の東向きの断崖に、南北1.7kmにわたって石窟が掘られ、そこに仏像が安置されました。西千仏洞、安西楡林窟、水峡口窟をはじめとした合計735の石窟(石室)と2415体の仏塑像や壁画が現存しています。その規模や歴史的な重要性は、ほかの石窟を圧倒しています。石窟群のうち現存する最古の窟は4世紀末から5世紀はじめに造営されたものです。石窟群からは、3万〜5万点に及ぶ文書や写本、仏画、経典などが発見されています。◇英名はMogao Caves。莫高窟は中国語でモーカオクーと発音します。

現存する500余りの窟の中に492の窟には壁画、色彩の塑像が保存されており、禅窟、殿堂窟、塔廟窟、穹窿頂窟、「影窟」があるほか、仏塔も少しあります。最も大きい窟は高さが40メートル余り、幅が30メートルに達しているに対して、最も小さい窟は高さが30センチにも足らず、多くは現存する古代建築の傑作です。

仏像、菩薩像、弟子像および天王、金剛力士、神様の像など様々な彩塑(色彩の塑像)があります。最も高い塑像は34.5メートルで、最も小さなものは2センチぐらいしかありません。彩塑の題材は豊富で、彫刻家の腕まえも素晴らしく、仏教彩塑の博物館と言えます。17番窟にある唐代の河西都--憎統の塑像とその後ろに描かれている杖を持つ従者は、塑像と壁画を一体化し、中国で最も古い高僧の写実塑像で、歴史と芸術には大きな価値を持っています。

石窟の壁画は華麗で、仏教の物語、山と川の景色、中国風建築、山水、花草、飛天仏像および当時の庶民の生活実態等の内容を描いています。五胡十六国時代から清代に渡るまで1500年余りの民俗風貌と歴史変遷を表現しています。古代の師匠は中華民族の基礎にイラン、インド、ギリシアなどの国から粋を取り入れ、多くの壁画を通して、中国文明の発達を明らかにしています。歴代の壁画は時代によって画のスタイルも違い、中国封建社会の政治、経済、文化状況を反映し、中国古代美術史に輝かしい一章を書き加え、中国古代史の研究に貴重な資料を提供しました。